呉式太極拳をやってます04(一応完結)

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山田編集長ふたたび

そんなこんなで、呉式太極拳研究会での稽古が始まります。沈先生の教え方は非常に独特でした。平均的な中拳ワナビーが想像する武術の稽古、というのは、

  • 基本をみっちりやる。伝統武術といえども、ストレッチとかウォーミングアップとかもきっちりと
  • 段階を踏んでいくので、「高級」なものは最初はやらない
  • 套路は何度も見せない。大事なことは一回しか言わない。黙念師容。
  • ペンキを塗らされたり、シャツをハンガーにかけさせられたりするうちに極意を体得

……こんな感じだと思います。

研究会の練習は、こんな感じです。

  • そもそも「ウォーミングアップ」という概念がない。ちなみに服も着替えない人がほとんど。私はどうもあの表演服、というやつが苦手(諸事情wあって持ってますけど)なんで、ここは高く評価したいところです
  • 先生が思いつき(としか思えない気軽さで)「○○やりましょうか」と、突然どんどん新しい套路を教える(ただし、一回しか見せない、とか、覚えなければ置いていかれる、といったことはなく、何度でも教えてもらえます)
  • 生徒の希望があれば(世に公開していないものを除いて)、なんでも教える(まあ、さすがにいくつかの例外はありますけどね……)
  • 套路は何度でもやってくれるし、写真も動画も撮り放題。(私はポケットにスマフォを入れて、稽古中にガンガンメモしてます。必要があれば、許可をとって撮影させてもらいます)
  • 明確な年間カリキュラムとかは一切、ない。段位とか免状システムも、当然、ない
  • ペンキ塗りを手伝わされたりはしない(むしろボーっとしていると稽古場所の片付けとか、掃除とかを先生が全部やってしまうので焦る)

日本の「習い事システム」に慣れた身からすると、なんか、ものすごく適当な印象を受けますし、最初は消化不良気味でヒーヒー言ってたのですが、

  • 最初から、「いつも同じことの繰返し」、でモチベーションを保てる人は少数派
  • 最終的にはどうせ同じことを何千回、何万回と、何十年もかけてやることになるのだから、最初にどう教えようと、結局一緒

と思えば、沈先生の方法の方が正しい、とも言えます。呉式太極拳の全内容の2割くらい(もうちょっと少ないかな? 我々には公開されていないものも多分まだ相当ありそうなんで……)をやった身としては、これだけの量のものを、以前のように「一回の稽古で套路を1ステップずつ」とかやっていたら、一生かかっても覚えきれないだろう、ということだけは、言えます。

あともう一つ、一般的な勉強のカリキュラムなどを冷静に考えれば当たり前なのですが、あまり言われていないことに、「ものごとの学習は螺旋階段を登るがごとく」ということがあります。套路を繰返し何度もやっているうちに、最初に教えてもらったときとは全く違う角度からの説明が入ることがあります。最初は動きを正確に再現することに汲々としていますが、その次の段階ではもうすこし内勁を育てるための高度な説明(たとえば、両足の膝の位置、であったり、手の、身体、あるいは空間との相対位置について、だったり)が、少しずつ足されていくわけです。

この、教えのタイミングは、先生の見切りによって突然やってくるので、生徒は「通り一遍の動き」をなるべく早いところ覚えざるを得ないわけです。

まあ冷静に考えてみれば、中学英語でも高校英語でも5文型だの完了形だの時制だのは繰り返しやるし、デザイナー見習いに「お前にはPhotoshopは教えるが、Illustratorはまだ早い」なんてことは通常有り得ないわけで、ただの「公式丸暗記」や、「インストール/チュートリアル」の時期を出し惜しみするかのようにちょっとずつ教えるのはどうなんか、と思わなくもない、ですね。生徒が本当に白旗上げて、「さすがにこんなに覚えられません」というまでは教えまくるのが正しいんじゃないか、と、今となっては思います。

話が逸れました。

そんなこんなで、沈先生のところに通いはじめたのですが、習いはじめ、また、いろいろと質問しまくっていくうちに、「どうやらこの人は、よくある「正宗」とか「本家」とかいう言葉を、額面どおりに当てて相違ない人物なのではないか?」という確信が芽生えてきます。

私はこういうことは常に科学的に、客観的に判断したい、と考えているので、沈先生がどれくらい強いかどうか、についてはここでは言及しません。「強い」の定義は、山田編集長の数々の著作のテーマになるような幅の広いものですし、そもそも、実質の中国武術歴が3年程度の私の手には余ることです。もっと功夫を積んだ人が判断すべきことでしょう。

しかし、

  • わりと成立がはっきりしている、呉式太極拳中興の祖である馬岳梁(と呉鑑泉)のもとで、ごく若い時期(←これ重要)に10年以上も密度の高い修行をしていた
  • 写真や動画を見る限り、馬家(呉家)の人間と、長年、家族同然の付き合いをしていた(いる)
  • 80年代末期に中国を出て、文化大革命以降の、中国の伝統的文物が徹底的に破壊されたであろう時代に、中途半端にプロ化(制定拳を取り入れるとか、自分でアレンジしたカンタン気功体操を教える、とか)せず日本で孤塁を守ってきた

……という客観的事実から、沈先生が、上海鑑泉太極拳社の呉式太極拳を実に忠実に「冷凍保存」してきた人物であり、それが今まさに解凍(公開)されはじめた、ということはほぼ間違いない、という確信を持ちました。

そうすると、次に私が考えることは、「このことを山田編集長に教えなければ!」です。

しかし、山田編集長の「大陸アレルギー」はちょこちょこ仄聞していたので、慎重に話をした方が良い、とも思っていました。そもそも山田編集長の武術の多くは台湾の武壇系のものです。同じ幹から分かれた者同士の相容れなさがあるのは、世の常であります。また、以下のような話をちょくちょく、雑誌などにも書かれてました。

……一般に大陸の先生方は、驚くほど対抗性運動には不適応な動きをする。(中略)しかも、中国人は敗けを認める事を嫌うため、交流の苦労話は多い。

こんなエピソードもある。

ある民間の実戦武術の先生と交流した時のことだ。私に推手でほんろうされたのが、よほど腹立たしかったのか、その先生はいきなり左フックでガツンと私の右ホホをなぐってきた。私はあぜんとしたが、その先生は平然として推手を続ける。しかたなく私も推手を続けた。

すると、また左手で私の右肘を引き、その手で左フックを打ってきた。今度は私も右肘で上へ流し、そのまま肘をねばらせて上から左腕を制し、逆に、右の崩捶(裏拳)を打ち、顔の前でピタリと止めてやった。中国人の先生の反則技に日本人の私が太極拳の動きで対応し返したのだ。

日本人は敗けをすなおに認めるのが男らしいという文化があるが、一般的に中国人にはこのような感性はないようだ。
(「増補改訂版 武術の構造」 174ページより)

論理的であることをとにかく重視する山田編集長は、他にも中途半端な気功や五行理論をふりかざして相手をケムに巻こうとする人間も激しく嫌っており、さらに言えばそもそも陳家でない太極拳をやっている先生を紹介しても、「あー大陸のセンセイね( ´_ゝ`)フーン」と一蹴されかねないなあ、と思っていたわけです。

実際のところ、私が相談をして間もなく、山田編集長は沈先生とfacebook上で繋がり、ちょくちょく投稿されるブログ記事や動画などを見るうちに、「どうもこれは只者ではないぞ」という判断をどこかの段階でされていたようだったのですが、2013年の年末にフルコムにお邪魔した段階でも、「おかげさまで、今、沈先生のところで習っているんですよー」と話をしたときの、山田編集長の反応から、「まだ紹介するのは止めておこう」と、判断を保留しておりました。

ただ、それに先立って、なんというタイミングか、私が沈先生へのアクションを起こしたその一ヶ月後、私が山田編集長に師匠変えの相談をした日のほぼ一週間後、2013年の7月24日に、松田隆智氏がお亡くなりになります。

前述のような「活字プロレス」ならぬ「活字中拳ヲタ」経歴を持つ私ですから、当然、氏の名前はビッグネーム中のビッグネームであり、少なからず衝撃を受けはしますが、私にとっての「松田隆智」というのは、あくまでも山田編集長の延長上の遠いところにある、本や雑誌の中に居る人、でした。むろん実際に面識はありませんでしたし、そもそも、存在が大きすぎて、よしんば何かの機会があってお会いできたとしても、ただ、有名人を街で見かけた、程度の話にしかならないのは分かっていたので、別段、悔いが残る、といった大袈裟なことは何もなかったのですが、とにかく、沈先生には、「松田隆智という、日本に、「伝統」の中国武術、「強い」中国武術を紹介し続けた、研究家であり、かつ、自身も武道家である人がいて、私は日本の中国武術業界をちゃんと把握しているわけではないが、少なくとも活字になっている範囲で、「この人のことを知らなかったら100%モグリ」、というレベルの人が亡くなってしまったのですよ」ということだけはお伝えしておきました。

人の生き死にに、勝手に因縁めいたものを乗っけるのは傲慢というものであり、ましてやそれをダシに自分語りするのは下品以外の何物でもない、とはおもいますが、それでも、このタイミングで、山田編集長が、おそらくは自身の理論に大きな影響を与える可能性のある、陳家以外の伝統太極拳と接触した、というのは、なにかの巡り合わせがあったのではないか、と思わずにはいられません。

もちろん、普通に発想すれば、「馬岳梁が太極拳では中国最強らしい」との情報を、1982年の時点ですでに掴んでいた松田隆智氏 が、そのほぼ全伝を継いでいる沈剛先生と邂逅していたら、どんな化学反応が起きたのだろうか、ということでもあるのですが、おそらく、そうではない現実が起きる「必然」があったのだろう、ということです。

ま、とにかく、、私の中では、いずれ先生と山田編集長を会わせる、ということは、この話をした時からぼんやりと頭の中にはあったのですが、それが実現するには、もう少し時間がかかります。

「DVD出しましょう」

沈先生は相変わらず、稽古のおりに、大変気前よく套路の動画を撮らせてくれるのですが、やはりなんらかの形に残したい、という気持ちが大きくなってきたようで、時折、「DVD作りたいんですよね〜」と口にされるようになってきました。

当然、真っ先に山田編集長のことが頭には浮かんだのですが、その年(2013年)のフルコム忘年会にお邪魔した際も、「おかげさまで道場変えまして」「フーン( ´_ゝ`)」という空気で、沈先生のことを「仕事」として持ち出すにはまだ躊躇がありました。映像制作をしている知り合いなどにも2、3、相談してみたのですが、あまり芳しい返事はなく、迷った末、沈先生に「山田編集長に会いに行きませんか」ともちかけたのが、2014年の3月のことでした。

おそるおそる、「フルコム編集部に、沈剛先生をお連れしてもよろしいでしょうか……?」と切り出すと、山田編集長からは、「沈剛先生は日本にいる太極拳の先生の中では最も正当な技術の継承者なので私もリスペクトしてます。(原文ママ。山田編集長、勝手に私信を公開してゴメンナサイ)」という返信が来ます。「DVD作りましょう」とも。

アレ、なんか思ってたのと違う。。。

しかし、結果オーライです。ではでは、ということで2014年の4月18日、めでたくフルコム訪問がなされ、その場でDVDの収録日が決まり、本も出しましょう東邦出版で……、と、ものすごい速さで話が次々と決まりはじめます。

DVD収録の際は、ものすごい強風だったり、晴天だったにもかかわらず、突然、ほとんど嵐といってもいいくらいの激しい雷雨に見舞われたり、とんでもないニアミスがあったり、と、予想外のことが次々と発生し、色々と語らなければならないことがあるのですが、まあそれは長くなるので省略。

本の制作

DVDの撮影が終わり、一息ついていると、急に、「本の打ち合わせしましょう」という連絡が山田編集長から入ります。

フルコムに出向くと、やはり私と同じことを考えていたようで、要は

  • 呉式太極拳、そして沈先生がスゴいのはよ〜くわかった
  • しかし、「フルコムの本」にするには、「何か」が足りない

というところをなんとか突破したいようでした。

私は当初、呉式太極拳の教科書的なものが作れれば、と思ってはいたのですが、常に武術・格闘技の「強さ」とは何か、ということを探求し、世の中の「強さ」に憧れるボンクラどものニーズに応えつづけてきた「フルコムの(山田編集長の)本」の路線とは、ちょっと外れてしまいます。呉式太極拳としては一発目の本、となると、やはりエッジの立て方も重要になってきます。

二人して延々と相談し、

  • 導入は自身の半生
  • 套路(慢架)と推手の紹介
  • 呉式の強さについて、内勁の解説のところで肉薄する
  • 「実戦」の強さ、をわかりやすく伝える章が欲しい

といった骨子をその場で作りあげました。

最後の章では、「一発パンチ入れて、沈先生がそれを呉式の術理で捌く、みたいな絵が必要でしょう」というハナシになります。なるほど「武術の構造」で山田編集長と田口氏がやったみたいなアレか……。じゃあ、研究会にデカい人がいるから、その人がやれば見栄えもいいですね、と安請け合いする私。

で、DVDができてからノンビリと原稿作ればいいや、本が出るのは2015年のどこか、あたりかな、などと思っていたら、まさかの怒涛の進行で、原稿の締め切りが急に巻きになって、先生の説明を口述筆記していたら先生は終電を逃してネットカフェに宿泊、とか、著者校正の翌日に下阪、みたいな鬼スケジュールで、7月に打ち合わせを始めた本は、なんと11月の末には出版されます。

ここいらの話も、いろいろとほじくり甲斐あるんですが、まあ、いずれ。

タイトルが(いつのまにか)決定

本のタイトル何にする? という件については、研究会でもさんざん議論して、複数の案をフルコムに伝えたのですが、とにかくタイトル(と体裁)については東邦出版がすべてを決定する、ということは既定路線だったので、私はもう全くアタマの中から追い出し状態で、著者校正の時に初めて目にすることになります(「最強」とか「強くなる!」などという文字が入っていますが、これらには沈先生の意向は全く反映されていない、ということは、ここで改めて強調しておきます)。

呉式太極拳の戦闘理論
呉式太極拳の戦闘理論
まあ、「太極拳で強くなれる!」と「最強」は置いといて、問題はココです。「呉式太極拳の戦闘理論」。

そう、奇しくも、私が高校生の時に購入した「陳式 太極拳戦闘理論」とほぼ同一、なのです。もちろんこんな、私が高校生の時の自分語りなんてどうでもいい話は、書籍の打ち合わせの時には一切していないので、山田編集長は全く意識していなかったはずです。しかも、「○○の戦闘理論」というタイトルはフルコムではたぶん初めてで、何かに揃えた、ということでもなく、今回突然、このタイトルになったわけです。

これを偶然と言わずして、何と言いましょうか。さすがに、この20年越しの伏線回収には、ちょっと震えました。本、陳儒性(たぶんペンネームだと思いますが……)先生にもぜひ読んで欲しいところです。

さて、最初に買った武術本と、はじめて出した武術本のタイトルが似た感じだったんだよね、ということを言いたいだけのためにもう2万字近く書いていてちょっとダルくなってきたんで、そろそろ締めます。

ちょっとした付け足し。

2013年の末にフルコムを訪ねたとき、山田編集長に沈先生のところに通っていることを報告し、「ようやく師に出会えました」と伝えたとき、編集長はサラリと、「「師は三年かけて探せ」っていうからねえ」と言われました。今までの、せっかく縁がありながらも拳功房を離れてしまった経緯や、無極会を辞めるかどうか葛藤していたことがいちどに思い出され、ずいぶん回り道したけど、自分の選択は間違ってなかったんだなあ、と、ちょっと泣きそうになりましたよ。

さらに言うと、今回、資料を引っくり返しているときに、「陳式 太極拳戦闘理論」のまえがきには、「良師三年といって三年費しても良師につけというのが原則だが逆にいうと三年探しても良い師につけなかったらあきらめなさいということでもあろう」とあり、一方、「正しい松田隆智追悼本」(俺調べ)である、「八極拳と秘伝 武術家・松田隆智の教え」のまえがきには、「「グルは必要なとき、必要な人の前に現れる」とは、松田先生がよく使っていたインドの諺だが、まさに自分と中国武術の触れ合いもそうだった。」とあることに気づきました。

一見反対のこと書いてある気がしますが、「探し求める」という、一見、自発的な行動では辿りつけない場所もある、という意味では、同じことを言っているのかもしれないな、と思いました、とさ。

……ということを書き添えて、この冗長な「前回までのあらすじ」を終えたいと思います。さて、やっと練習のこととか書けるぞー(棒読み)。

“呉式太極拳をやってます04(一応完結)” への7件のフィードバック

  1. DVDと本の出版に際におんぶに抱っこで色々と有難うございました。この御恩は今後、太極のすべてで恩返し致します。

  2. 是非とも、今後もブログを書き続けてください。きっと太極の新しい発見があります。

  3. > 三休どの
    では、私のおかげでショートカットできた分のコミッションをスイス銀行の口座に。。(スイスフラン以外で……)

    > 沈先生
    こちらこそありがとうございます。まだまだこれからです。もっと、届けなければいけないところがある、と感じています。私は私で継げるだけのものを継ぐべく精進いたします。

  4. 日高さんが、そんなに濃い中国武術マニアだなんて、知りませんでした。一般人を装ってましたね。私の記憶では、日高さんに相談を受けて、「某先生より、沈先生のが絶対いい」と勧めたら、「遠いんですよねえ、」と躊躇していた記憶がありますよ(笑)。

  5. 「濃い」といっても、「拳児」読んで「うーしゅう」立ち読みしてただけですからねえ。。多少マニアックだったとしても、山田編集長の前ではほぼほぼ一般人ですよホントに。
    「道場が遠い」ってのは、確かに気になっていました。拳功房が遠くなるにつけ、それを口実にサボっていたので、自分に自信がなかったんですねー。

  6. ところで、皆様はオルガンニストの酒井多賀志先生が一生懸命に太極拳を練習していることをお気づきでしょうか。彼の人間的な凄さは私も脱帽です。5分あれば作曲することで有名です。武術の修行者の姿に似ていますね。

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