レイチェル・ザ・スター

ふだんこういうの全く観ないんですけどね。米国TVドラマ(最近は「TV」で放映されているのかどうかもよく分かりませんが。。何ていうの? こういうの)。

2周目にしてはやくも自己言及的ギャグが増えすぎだし、とっととシーズン3での日笠陽子大先生のご活躍を拝聴したいものだ、と思いつつgleeのシーズン2を消化中(……今頃?)。ようやくエピソード17まで辿り着きました。

gleeは、「プロムクイーンもスクールカースト最下層も少数人種もいじめっ子もいじめられっ子も、果ては身体障害者まで全員平等にクズ」、というとてもすがすがしい世界観で構築されており、中でもとびきりのクズがグリークラブの仕切り屋にしてミュージカルスターを夢見る、(一応)トップボーカリストであるレイチェル・ベリー。ルックスは悪くないのでしょうが(だがしかしとびきりのかわいこちゃんでも美人でもない)、メイクやファッションセンスが、男が見てもちゃんとクソダッサく見えるように演出されており、見事に好感度を下げているあたりはさすがです。

一方、R&B、ゴスペル、アレサばりのシャウト(体格もw)……といったブラックミュージックのナチュラルな魅力を武器に活躍するメルセデスは、実力はなかなかのもので周囲の評価も悪くないのに、グリー内では常に二番手。

常に自分がレイチェルに邪魔されてトップを取れない、と感じたメルセデスは今回ついにブチ切れ、自分を一番手にすべくあれこれと騒動を引き起こします。だがしかし、付け焼刃の「スター気取り」は空回り。欲しかった「リスペクト」は手に入らず、本番ステージ直前に実力行使、というかサボタージュを決行します。以下、メルセデスを呼び戻すために、彼女が「籠城」する車に説得に向かったレイチェルとの対話。

メルセデス: 分からないの。なぜ あんたが上? 大事な時や いい歌だと いつもあんたがソロ。私じゃダメなの?(分からないんだ。どうしてアンタの方が上なの? いっつもアンタの方がいい歌でソロもらってる。大きな舞台では毎回だよ。なんでアタシじゃないの?)
レイチェル: 分からない。あなただって才能がある。(分からない。だけどアナタの歌は私にひけをとらないわ。)
メルセデス: 好感度も高いしね。(アタシはみんなに好かれてるしね)
レイチェル: それが問題よ。私は嫌われてもスターがいい。それが——愛されるよりいいとは言わない。でも私は——主役になれるなら何だってやるわ。(そこは問題よ。アタシは人に好かれるよりスターになりたいと思う。いえまあ、こういう考え方は健全じゃないし、人に好かれない方がいいとは言わないわよ。……でも、覚悟はある。スポットライトを浴びるチャンスを掴むためだったらアタシはなんだって、する。)
メルセデス: 今日は——トリを飾りたかった。(せめて今日は……トリをやりたかったんだ。)
レイチェル: 本気でそう思うなら——戻って私から奪い取るのよ。(本気でそう思うんだったら、今すぐに戻って、アタシから奪うのよ。)

※glee season2 episode 17より。()内は、吹き替え版の台詞の文字起こし。内容に忠実なのは、どうしてもこっちになりますやね。。

ここで「おっ」と思ったのは、レイチェルの「私は嫌われてもスターがいい(Because I would rather be a star than be liked.”)」という台詞です。

前述したように、レイチェルは「トップ・オブ・イヤな奴」で、とりわけ、特に日本のおくゆかしい文化から見れば、「私が私が」方向にイヤな奴であるレイチェルには、ビタいち共感できない……という人が多いのではないでしょうか。

だがしかし、その姿勢の原点にあるのは、「でも、覚悟はある。スポットライトを浴びるチャンスを掴むためだったらアタシはなんだって、する。(”But there’s nothing, nothing that I wouldn’t do for the chance to be in the spotlight.”)」という強い強い決意であることが明らかにされます。

この「鼻持ちならない増上慢」が「強い覚悟に裏打ちされた決意表明」に相転移する瞬間、観客はまさにテンションコードが解決して大サビに入るような爽快さを味わいます。glee屈指の名シーンだと思います。……ま、その後の展開自体はわりとどうでもいいんですけどね。gleeのお約束として、「なんやかんやあったけど感動的な歌唱シーンで〆ることで「いい感じ」感を醸すものの、次の回になると、あんなにいいセリフといい和解があったアイツらは、またもや満遍なくクズに戻っている」……というのがあって、ここにツッコみ始めるとglee自体が成立しなくなってしまうので。

日本では一般に「他人様に迷惑をかけない」みたいなことを教条的に叩き込まれますが、人はどこかで、「「嫌われない」ことよりも、大切なことがある」ということに気づかないと先に進めない領域があるんじゃないですかね。それは必ずしも「ブロードウェイでミュージカルスターになりたい!」といったわかりやすい上昇志向に限定した話ではなく(今回のエピソードも、「本番ステージ」の数名の「客」は宿敵によって送り込まれたヤジ要員で、実質のお客はグリークラブの仲間たちだけ、という、gleeの「不遇ステージ」の中でも屈指のしょっぱい舞台であり、このことも、演出の意図を感じますね)、その場その場で「ゆずれない何か」があるんじゃないスかね。いやはや(でも嫌われたくないなあ……)。

それにしても、この、「安易に特定のキャラクターに感情移入させず、全キャラクターで順繰りにテンション→解決を繰り返していくことで、「続き物」を成立させる」という手法、よくできてるなあ。。

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