エコノミークラス症候群と落胯垂臀と

まずはじめに。

平成28年(2016年)熊本地震で被災された皆様にお見舞い申し上げます。

さて。

これから相当量の理屈を捏ねますので、最初に結論を。

エコノミークラス症候群の予防には、(ふだんからの)太極拳がいいですよ!

以下、それはなぜか? についての文章です。7000字くらいあるので、ヒマな時を選んで読まれることをお勧めします。

先におことわりしておくと、私は、沈剛師父より、呉式太極拳六代目弟子を拝命しておりますが、未だ武功浅く、とても他人様に教授するような立場にはありません。

自分が稽古している間に感じたこと、体得したことと、師父である沈剛の教授内容をもとに、現時点でお伝えできることだけ、を書いていきます。

●エコノミークラス症候群の原因と対策

これはまあ、「エコノミークラス症候群 原因 対策」あたりでググればなんぼでも出てきますので、ばっさり略。こまめな水分補給と軽い運動(特に下半身の)。それができてりゃ苦労しないよ、というハナシですよね。

つまり、ふだんよりも水分を摂れず(摂らず)、ふだんの頻度よりも運動できない(しない)状況下だと、発症リスクが上がるわけです。

持病や生活習慣病が遠因となることが多いようですが、直接の引き金は、外的な状況や心理的なストレスから、動かない、動けない、という特殊な状態がきっかけとなりやすい、ということは言えると思います。

●「落胯垂臀(らっこすいでん)」とは何か

「虚領頂勁」「含胸抜背」「沈肩墜肘」「尾閭中正」……etc.

さて、タイトルの「落胯垂臀」です。「ああアレね」、と分かる人はたぶん日本人では1000人を切っていると思われるので、少し冗長に解説します。「落胯垂臀」とは、太極拳の要訣の中の、「尾閭中正」の延長上にある概念です。上記の要訣は、太極拳の初学者向けの心得、として、さまざまなところで説明がなされていますので詳細は略しますが、重要なのは、ここに列挙したような要訣は、外形的には「身体が静止している状態」を前提とした説明である、ということです。屁理屈を捏ねれば、推手の中では、肘を上げるシーンもあります。蹴りを放つべく足を上げれば、「尾閭中正」にはならないでしょう。

「落胯垂臀」は、字義に則って言えば、「胯(股)を落とし、臀部を垂らす」という意味ですが、第一義には、「進退顧眄定」のうちの「前進」と「後退」の間における、動的な身体の在り方についての要訣です。平たく言えば、套路等で実際に動いているとき、身体のあり方をどのようにすべきか、ということについて、より踏み込んでいる説明である、ということですね。

太極拳においては、前進と後退の動きは、「弓歩」「虚歩」と呼ばれる立ち方の変化と、その間に挟まる「上歩(退歩)」と呼ばれる動作、として表れます。どこを起点と考えるか、で、表現は様々ですが、ここでは、

弓歩から上歩を挟んで、虚歩。そして、その位置で弓歩

を取り出して解説してみましょう。

1●まず、弓歩の姿勢を作ります。次に、視点の変化を意識しつつ、頭頂部から一本の紐で吊られているかのように、身体を起こして行きます。この動きを、骨盤を起点として考えるとすれば、左右の大転子を通るラインを仮想軸として前傾している骨盤、および上体が起きてくる、ととらえることもできます。

2●同時に、後ろの足を前に持ってきます。伸ばした状態の脚部をいったん緩め、踵を地面から離します。理想的には、足部分は地面スレスレを、地面と平行を保ったまま動きますが、ここでは「緩める」こと優先、で説明します。

3●続いて爪先を地面から離し、地面スレスレのところを通過しつつ、前に一歩、踏み出してゆきます。上体は垂直に起きるべく、動き続けています。

4●上体が完全に垂直になったタイミングで、後ろにあった足が前の足と揃います。

5●ここからさらに、足を前に送り、踵だけ、地面に着地します。上体は足の重さとバランスをとるため、垂直を保ったまま、僅かに後ろに移動します。これで虚歩が完成します。

6●さらに、虚歩から、今度は足を送らずに弓歩になります。重心を前に送り、前に出ている足に体重をかけていきます。後ろの足は徐々に伸ばし、前の足は徐々に曲がり、上体は頭頂から踵の一直線を保ったまま、徐々に前傾してゆきます。ただし、視線は落とさず、前方を見続けます。
弓歩が完成した段階で、体勢が1の冒頭の弓歩の状態に戻ります(当然、左右の足は入れ替わっています)。

この動きの中で、「1」で後ろの足を動かし始めたときから、「4」上体が垂直になるまでの間で、「落胯垂臀」を完成させます。

後ろ足は、きちんと伸ばしていた状態から徐々に脱力します。これと同時に、骨盤の後ろ足側の腸骨を緩ませていきます。特に、「4」、「5」の段階では、あたかも、足全体が仙腸関節から吊り下げられているような状態となります。この段階では、骨盤への上下方向の圧力が減ったことから、骨盤の左右幅がわずかに小さくなっているはずです。

そして、「6」で虚歩から前傾し、弓歩が完成するまでの動きで、落胯垂臀の逆の動きが生じます。前の足に徐々に重心が移動する過程で、僅かに、骨盤が「開く」わけです(動いているのは、主に、骨盤でほぼ唯一の可動部分である、仙腸関節の動きと推測されます。とはいえ、実際にこの目で見たわけではないので、いつの日か、師父の動きをX線動画撮影してみたいものですね)。この、「広がる」動きは、落胯垂臀していた側だけではなく、両側の骨盤で行われます。

太極拳における、前進(後退)の中には、こういった動きが隠されており、この動き自体が内勁の高次段階である、「鼓盪」を生み出す源泉となる、というのが、沈師父の教える呉式太極拳の解釈です。

●太極拳の理論構造とはどういうものか

いくつか大事な話をぶっ飛ばしているような気がしますが、いつまで経っても本題に入れなさそうな気がするので、次の話へ。

まあ、このような面倒くさい理屈の積み重ねで太極拳の理論というものはできている(らしい)のですが、これらは、学習者の理解と身体の出来具合に応じて、さまざまな言い方で説明がなされます。そのため、ひとつひとつの要訣が、どの段階での説明なのか、を理解した上で解釈・実践していかないと、要訣Aと(同じテーマであるはずの)要訣Bが矛盾する、といったことがしばしば起きます。信頼できる師匠の存在はもちろんですが、学ぶ側のタイプとしては、性急に結論を求めず、こういう面倒くささをじっくり楽しめる人こそ、太極拳向きと言えるでしょう(いや、もちろん、やみくもに師匠の言葉を有り難がるのもやはり問題で、客観的に検証・研究し続けることは大事なんですが)。

で、この落胯垂臀の話は、「功夫架」と呼ばれる、まあまあ高級な部類の理屈に入っているようです(太極拳理論の階梯がどのレベルまであるのか、私はまだ知りませんので、とりあえず「まあまあ」高級、ということにしておきます)。柔らかい言い方をすれば、「バリバリの戦闘理論」に属する話なわけです。

太極拳は「健康体操」?

はいはいテンプレテンプレ
はいはいテンプレテンプレ
ところで、太極拳と言えば、テンプレどおりのイメージとしては、公園や広場で、大勢の人がラジオ体操よろしく一斉にユックリと動いている映像が浮かんできます。そして、その多くの人はご老人であることが多いようです。老人は絶対に戦わない、ということはないと思いますが、今までいっしょうけんめい説明してきた「戦闘理論」という表現とはちょっとイメージが結びつかないのではないか、と思います。ま、現代日本を見渡しても、そしておそらく本場中国でも、「太極拳」は公園や広場(や体育館、カルチャーセンター等)でノンビリやっている場合が圧倒的に多いようです。リングやオクタゴンの上でしばしばスパーリングしている太極拳道場、というのは寡聞にして存じません(世界中探せば、結構ありそうですけどね……)。であれば、やっぱり太極拳は年配者のための健康体操、なのでしょうか? 名前に「拳」ってついてるのに?

中国共産党による「公認武術(?)」

この謎を解くには、中華人民共和国における、悪名高い文化大革命のさらに10年前、1956年まで遡る必要があります。当時、毛沢東は「発展体育運動・増強人民体質」のスローガンのもとに、楊式太極拳をベースとした簡化24式太極拳を「制定」します。いわゆる「制定拳」の始まりですね。太平洋戦争以前より、北平体育研究社や上海精武体育会のように、行政と結びついた存在はあったものの、基本的に道教や仏教、回教などと、より密接に結びついていた「伝統武術」は、共産党の唯物史観のもと、その存在を否定され、おそらくは唯一、太極拳だけが前述のような論拠のもとに存在を許されます。この状態が緩和され、「(中共の悪口を言わない限り)伝統武術をやっても良いですよ」という、「手打ち」として「第一回全国武術工作会議」が開催されたのは1982年の12月(参考→ 武術大辞典・年表 なお余談ですが、上海鑑泉太極拳社には、このときの、大勢の伝統武術家達が一同に介しているパノラマ集合写真が額に入れて飾ってあります。伝統武術家にしてみれば、それだけ自身のアイデンティティにおいて大きな意味を持つイベントであり、逆に言えば、それまでの数十年間、筆舌に尽くし難い迫害が続いていた証左でもあります)。 少なくとも1956年から26年間は、「太極拳以外の中国武術は存在しないし、そもそも太極拳は健康体操」という時代が続いたわけです。嘘でもなんでも、20年以上続いてひと世代入れ替われば、それが常識になります。おそらく中国人であっても、若い方の多くは、「なぜ、太極「拳」なのに拳を交えないの?」という素朴な疑問に答えられないのではないでしょうか。

太極拳から、徹底的に格闘技術の要素を排除した結果、が、現在、多くの人口に膾炙している、「太極拳」の正体であり、すでに状況が変化したにもかかわらず、そのことが十全に説明されないがために、いろいろとややこしくなっているのです。

このことの功罪を語ると長くなりそうなので、ここでは、「太極拳から格闘・戦闘の要素を排除したのも、太極拳=健康体操という刷り込みを徹底して行ったのも中国共産党」であること、とはいえ、太極拳はその成り立ちの多くを道教の養生術に負っており、「太極拳=養生術(健康体操)」という簡略化自体は、まったくのデタラメではない、ということだけを指摘しておきます。

「養生術+戦闘術」=太極拳

ま、この数式(もどき)も、道教、という補助線が無い時点で若干正確さを欠くのですが、ハナシを単純化するために、この2つに絞って話を進めます。

文化大革命も終わったし、日本語でもそこそこちゃんとした情報も増えはじめているので、ここで深く掘り下げることは避けますが、太極拳は第一義に、武術、です。ただし、それを西洋スポーツの文脈で、「太極拳=格闘技」としてしまうと、ちょっと話がズレてしまいます。

クラウゼヴィッツの「戦争論」において「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」と述べられているのにも似て、中国武術、とりわけ太極拳では、「戦闘」と「養生」は連続体として考えられています。これは、西洋のスポーツ、体育といったものが、ウォームアップやクールダウン、ウェイトトレーニングをはじめとする、目的ごとに細分化された基礎的なトレーニングと実際のゲーム(あるいは、格闘技であればスパーリング)形式のトレーニングを細かく分けていることとは対極的です。ウォームアップやストレッチ、という概念は、逆に言えば「実技としての運動は身体を痛めやすいものであり、それらは別のものによって予防されるべきである」という思想に基づいている、と言えるでしょう。

洋包丁。ググれば、だいたい、「一揃い」の形で出てきます
洋包丁。ググれば、だいたい、「一揃い」の形で出てきます
対して、中華包丁。この形、このサイズ以外、まず出てきません。男らしい! (※個人の感想です)
対して、中華包丁。この形、このサイズ以外、まず出てきません。男らしい! (※個人の感想です)

もっと卑近な例を出せば、西洋料理が「皮剥き」「ペティナイフ」「骨スキ」「筋引」……と、包丁ひとつとっても何種類もの道具を用意するのに対し、中国料理は「中華包丁」一本で何でもこなす、というのも、よく例えとして言われていますね。

いずれにしろ、太極拳は、そういった西洋の自然科学的な発想とは真逆の発想で構築されている、といえば、なんと非科学的な、と思われるかもしれませんが、そもそも太極拳の「強い」という概念の中には、「相手より長く生きる」という要素が含まれている以上、局地戦でゲンコで勝利しても意味がない、とまで考えれば、「身体を傷つけやすい戦闘技術など、長期的視点で考えれば無意味」という理屈もまた、成り立つわけです。

(で、この後、では、落胯垂臀はどのように戦闘に活かされるのか、という話を書こうと思ったのですが、それは私にはまだ荷が重い! ということにウッカリ気づいてしまったので、もう少し修業を積んでから、出直します。)

●脳貧血との戦い(笑)

さて、急に個人的なハナシで恐縮ですが、私は幼少の頃からよく立ち眩みを起こすことがあり、中学生の時分なぞ、ときたま満員電車で失神して乗務員室に担ぎ込まれることなどが、まま、ありました。その頃は「うーむチビ(当時140cm台前半)だから酸欠になりやすいんかな〜」などと考えておりましたが、残念ながらこの傾向は年齢を重ねるにつれだんだん酷くなり(幸い、社会人になってからは満員電車とは無縁の生活になったので車内で倒れることはなくなった)、酷いときは机で俯いて仕事をしていて、視線を上げる首の動きだけでも眩暈を起こす……なんてことがちょいちょいあったのですが、「……うん、まあ、疲れてるからな」で済ませてきました。

で、呉式太極拳と出会い、そこそこ真面目に稽古するようになって数年、あるとき、閉めきった室内で慢架を30分少々かけてやっていると、決まって気持ち悪くなる、ということに気づきました。このときも、「……うん、まあ、疲れてるから、かもな」でやり過ごしてきたのですが、ある時、いろいろな条件が重なってウッカリ意識が飛んでしまい、床にデコから派手にダイブしてしまいました。幸い、研究会メンバーは師父をはじめとして中医学・鍼灸・整体のエキスパートが揃っていることもあり、すぐ意識は戻ったのですが、そこは年の功、「なるほど! これは脳貧血で倒れているから、とにかく酸素の補給だ!」という意識が働き、またすぐ意識が飛びそうになりつつも、ヨガで習ったカパラバティという激しい呼吸法をひたすらやり、なんとか無事に生還した、ということがありました(たぶん、事情が分からない人からは、突然倒れたあとおかしな呼吸をし始めたので、なにかの異常発作かと誤解したかもしれません)。

その後も、さすがに卒倒はしないものの何度かこういったことがあり、そのたびにカパラバティでしのぎつつ、「アレ? ひょっとして俺、身体弱い?」などと思っていたのですが、沈師父から功夫架を教わるようになり、その中の重要な要訣である落胯垂臀の説明を受け、おぼつかないながらも実践してみたところ、脱力した側の脚に血液が流れ込むのを感じました。そして、その日は気分が悪くなることもなく、慢架を終えることができたのです。

なるほど!

俗に言うように「足(脚)は第二の心臓」なわけで、走ったり歩いたりすること自体、心肺機能の向上に貢献しているようなものです。しかし、逆に言えば、ここの血流が滞るような状態で長時間の運動を続ければ、それは血流の阻害を招き、酸欠にもなろう、というものです。とりわけ、私のように低血圧で貧血ぎみの人間にとっては、これはなかなか致命的です。

私の学んでいる太極拳では、中定を保つことを非常に重視します。具体的な「入り口」としては、骨盤が進行方向(または回転方向)の軸以外にブレないよう固定された状態で滑らかに動けるようになることを要求されます。この教えを忠実に守ろうとして、無意識のうちに下半身をガチガチに固めたまま動きつづけていたのが、「気持ち悪くなる」原因であったか、ということに気づいたわけです。

そう、下半身の血流ポンプをきちんと動かすためには、落胯垂臀ができていることが前提条件、だったんですね〜。

●常在戦場よりも常在稽古でしょ

と、いうわけで、ようやく結論に辿りつけそうです。

  • 太極拳の考え方は、養生術と戦闘理論が同じ軸の上にあり、これは健康法、こちらは格闘練習、などといった区分はあまり意味をなさず、本質的に連続している
  • 落胯垂臀は呉式太極拳の戦闘法の、わりと高次の要訣にして、養生法にも直結している
  • エコノミークラス症候群のような、下半身の血流阻害が要因となる疾患には、この動きがテキメンに効くはず(※個人の感想です)

で、さらに太極拳がすばらしいのは、養生法と戦闘法に区分が無いのと同様、稽古と日常、にも区分が無くなっていく、ということです。そもそも、畳半畳のスペースがあれば立ち方から前進・後退・左顧右眄、さらにほとんどすべての気功は練習できますし、その気になれば、歩いている時、座っている時にでも、骨盤を止めて腰を動かす練習は可能です。「落胯垂臀」につながる練習さえも可能です。座った状態から、片側の尻に体重をかけ、その方向に身体を倒していけば、この動作はできます(背骨と、座面に接触している側の骨盤を一体化させるつもりで、反対の骨盤だけを宙に浮かせるのがコツ、ですかね。片側の骨盤への荷重を外すことが目的なので、頑張って身体を倒す必要はありません。飛行機の中であったとしても、スーパーヘビー級の巨漢でないかぎり、隣りの人に迷惑をかけることもないでしょう)。ちょっと片側に寄って座り、浮いた側の脚に血流が入る感じがすれば、充分だと思います。

よく、冒頭のようなイラストでいくつかの運動が紹介されていますが、これらに加えてほしいくらいですね(笑)。

ベストは、ふだんから運動する習慣を持ち、非常事態で気分も激しく落ち込んでいるようなときでも活力を失わないこと、ですが、なかなかそうはいかない現実もあります。こういった技法を、セカンドベスト、として覚えておくと、何かのときに役に立つ、かもしれません。

いや、こんな生っちょろいお手軽ライフハック的ことではなくて、もうちょっとちゃんと学びたい……という考え方は、正解です。こういった動きを、きちんと身体に「インストール」するには、やはりそれなりの時間と手間をかける必要があると思います。そういうガッツのある方は、ぜひ呉式太極拳研究会までご一報を。(宣伝乙!)

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